【感想と色々】苦役列車

書評
UnsplashBrayden Pratoが撮影した写真

今回は、西村賢太さんの著作『苦役列車』について話します。

『苦役列車』のリンクはこちら。

2010年度芥川賞を受賞した。
先に述べておくと、この小説は好き嫌いがはっきり別れると思います。
人間の醜い部分を惜しげもなく表現し続ける本作は、どこが面白いのかもわからんという人すらいそう。

しかしながら、この小説の中にいる人間は本物で、生きていると感じます。

あらすじ

11歳、まだ小学生の貫田は、父親の犯した性犯罪のために地元を離れる。
中学にあがり父の犯した罪の詳細を知ると、自分に課せられた罪なき罰を自覚し、諦めと開き直りをするようになる。そして中学卒業後に親元を離れ、今は日当5500円で肉体労働をして食いつないでいる。
食いつないでいるといっても、風俗と酒、あとはタバコにすべて消えてゆき、家賃も払えず追い出されることもしばしばだった。

そんな貫田が18歳の時分、現場に向かうマイクロバスの中で日下部という同い年の専門学生に出会う。
彼はいわゆる王道の人生を歩み、初めから性犯罪者の息子というレッテルを貼られた貫田にとっては忌むべき存在のはずだが、日下部の人当たりの良さ故に、貫田にとって久しぶりの友人となった。

酒を飲み女で遊ぶ、そんな日常を過ごす中で、日下部に彼女がいることを知った貫田はやや強引にも女友達を紹介してもらおうと目論む。
しかし、その飲みの場で目にした日下部とその彼女による会話は、貫田からすれば馬鹿にされているのかと感じるようなものであり、酔った弾みで暴言を吐きまくってしまう。

日下部と関係が悪化した貫田は、さらに現場の上司とも呼べる存在と喧嘩をしてしまい、会社からクビを言い渡される始末。
その後も何とか暮らしてゆく貫田だが、日下部は郵便局で勤めるようになったのに対して貫田はいまだ日雇い生活である。

色々

この作品について

そもそもこの作品は、著者である西村賢太氏の人生を貫田に投影したものです。
だからこそ写実的に描かれる情景は、先述の通り人によっては受け付けないと思います。

しかし、このような生き方をした人物はそう多くないし、だからこそ見える私たちのような(彼から見た)王道の人間の卑しさというのも見えてくるのだと思います。

表現と語彙力

著者の表現力、語彙力には圧倒されるものがあります。

本来であれば汚いと感じてしまうような視界や、感情すらも、文章のおかげでなんとか読んでいけるという印象をうけます。
正直、私自身も何度か読むのを辞めようかと思いました。
それほどの迫力というか、重みを背負っている内容です。

本当に文章の、淡泊なまでの潔さに救われます。

見ることのできない世界

見ることのできない、というのは語弊があるかもしれません。

実際にいうなれば、『実際には見たくない世界』
それを克明に、小説という誰もが手に取れる形で見せてくれている。

いまでもこういった世界に住む人は少なくはありません。
私たちが直接かかわることもきっと少ない。というか、無いといっても過言ではないでしょう。
彼らを助けることもしないし、したいとすら思わない。

それでも知っておくことは悪いことではない、と偉そうに私は思ってしまう。
これこそ、きっと貫田から見た日下部の卑しさであり、浅ましさなのだろうと思います。

感想

冒頭でも言いましたが、この小説は好き嫌いがはっきりと分かれる作品です。

それでも一度は読んでほしい。いや、手に取るだけでも構わない。
この小説を読んだあとの、口に残るザラっとした感覚を味わってほしい。

本作で描かれる期間の中、おそらく主人公はなにも進歩をしていません。
しかし、変化はしている。変化した結果、元に戻ってきたという印象。
それもまた人間らしいという気がするのですが、皆様は

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